こちらの記事では旧石器~縄文時代のフローシートを解説していきます。
先史時代を理解するポイントは2つあります。1つ目は自然環境の変化が生活のあり方や道具にどのような影響を与えたのかを理解することです。2つ目は、遺物や遺跡からどのような生活をしていたか考えられるかを理解することです。先史時代は文字資料がありませんので、残された物から推測するしかありません。このプリントでは、旧石器時代と縄文時代の自然環境と人々の生活や道具を対比して学習できるようにまとめました。
解説
現生人類であるホモ・サピエンスがアフリカで誕生したのが約30万~20万年前と言われています。そして、ユーラシア大陸と陸続きだった日本列島に約3万8000年前に上陸したと考えられ、日本の旧石器時代が始まります。そして、約1万年前から縄文時代が日本列島ではじまります。それぞれの時代の人々の生活の特徴とそれを生み出した自然環境の違いを軸に解説していきます。
【旧石器と縄文の境目】
まず2つの時代の分け目のポイントになるのが約1万年前に起きた地球規模での気候の変化です。これが2つの時代の境目ともなっています。約260万年前~約1万年前まで、地質年代(地球の歴史を地層にもとづき区分した時代)では[a.更新世]と呼ばれ、地球は氷期(寒い時期)と間氷期(比較的温暖な時期)を繰り返しながら長期にわたって寒冷化しました。そのため、氷河が発達し、氷河時代ともよばれます。約1万年前に最後の氷期が終わり、地球は温暖化していきます。そこから現代までの地質年代を[h.完新世]といいます。
【旧石器時代の自然環境】
寒冷な気候のため、厳しい自然環境となります。樹木は寒冷な気候に耐えられる[b.針葉]樹林(マツなど)が中心でした。針葉樹林の木の実は食べることは難しく、もちろん農業は出来ませんし、植物由来の食料は少ない時代でした。この時代の主食となったのが大型動物でした。当時大陸と陸続きであった日本列島には北方からはマンモスやヘラジカ、南方からは[c.ナウマンゾウ]・オオツノジカが渡来しました。旧石器人は大型動物を追って、移動生活をしながら石槍などを用いて狩りをして暮らしていました。
【旧石器時代の生活】
彼らが大型動物の肉や皮を解体したいするために用いた道具が[d.打製石器]です。打製石器は岩などを打ちかいた簡単な道具です。どのような打製石器があったのかは資料集などで必ず写真を見て確認しましょう。簡単に解説すると、石斧は名前の通りオノです。ナイフ型石器は切るためのもの、尖頭器は槍先につけるもので、 [e.細石器] (細石刃)は後期に使われるようになったもので、槍の側面に溝を掘って細石器をたくさん埋め込んで用いました。これらの石器に多く用いられた岩石が別名「天然ガラス」とも呼ばれる黒曜石です。黒曜石は先史時代においては欠かせない石ですね。最後に旧石器時代の生活をまとめると、寒冷のため植物性食料は少なく、大型動物を追って打製石器を用いて移動生活を送っていたという感じですかね。
【旧石器時代の遺跡・化石人骨】
近年、マニアックな先史時代の遺跡を聞くようなこともなくなってきたのでこれくらいで何とかなります。
・[f.岩宿]遺跡(群馬)…いわずと知れた、日本に旧石器時代が存在することを初めて明らかにした遺跡です。戦前の日本では、厚い火山灰層があることから1万年前より前は日本は火山活動が活発であったため人が住める環境にないと信じられていました。そのため、日本の歴史は縄文時代から始まると考えられていたのです。それを戦後に覆したのが、独学で考古学を学んで群馬県の関東ローム層(赤土層)から打製石器を発見した相沢忠洋さんです。ここでは割愛しますが、彼の発掘成果が学会で認められるまでは時間がかかりました。
・[g.港川人]・山下洞人(沖縄)
日本は火山灰により酸性の土壌のため、化石人骨の出土は少ないです。旧石器時代の人骨は国内では沖縄で見つかっています。いずれも新人段階のものです。日本では新人より前の段階の原人や旧人などの化石人骨は見つかっていません。かつては、原人と考えられていた化石人骨(明石人)もありましたが、その後の研究で否定されています。
【縄文時代の自然環境と生活】
約1万年前から地球全体が温暖化し自然環境も大きく変化していきます。気候が湿潤・温暖になったことで、西日本では広葉樹である照葉樹林、東日本では広葉落葉樹が広がっていきました。これによって食べることが出来る木の実が増加しました。また、森の中では絶滅した大型動物に代わり、イノシシやシカなどの中小動物が繁栄しました。沿岸部では海面が上昇した結果、入江が多く形成されていき、漁が発達していきます。このような環境の変化に対応して人々が使う道具や生活も大きく変わっていきました。
中小動物の繁栄→素早い→[i.弓矢]の使用
海水面の上昇による漁の発達→[j.骨角器]の使用
木の実の増加→すりつぶす必要 →[k.磨製]石器の登場
→煮沸する必要 →[l.縄文]土器の登場
⇒ 木の実や水産資源など食料が多様化したことによって、定住生活が可能になり、[m.竪穴]住居が作られました。
また、海岸部には[n.貝塚]が形成されました。貝塚の代表的な遺跡はモースの大森貝塚はもちろん、日本最大級の貝塚である加曽利貝塚は抑えておくとよいでしょう。
【縄文時代の交易】
特定の場所でしか産出されない、黒曜石やヒスイが他の地域でも算出されていることから広く交易が行われていたことが分かっています。シートに載せたものに関しては最低限抑えときましょう。
【信仰・墓制】
豊かな自然の恩恵を受けたこともあり、動植物など様々なものに霊魂が宿っていると考える[o.アニミズム](精霊信仰)が発達しました。
「アミニズム」と間違えてしまう人が多いです。アニミズムが「animal」と同じ、ラテン語の「anima(霊魂)」から由来しておくことを知っておけば間違えることはないでしょう。縄文人の信仰に関する遺物としては[p.土偶]や石棒が有名ですね。土偶は本当に多種多様なので調べると面白いですよ。
【遺跡】
絶対に覚えとかなければいけないのはいけないのは北海道・北東北の縄文遺跡群として世界遺産に登録されている[q,三内丸山]遺跡ですね。青森県にあるというところも必ずセットで。
コメント